囲碁 本因坊
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本因坊の由来

本因坊の由来

 本因坊名前の由来は、江戸時代、安井家・井上家・林家と並ぶ囲碁の家元四家の一つである本因坊家から取った。

現在の囲碁の棋戦の一つである本因坊戦は、昭和になって、優勝した棋士贈られるタイトルとなった。本因坊家は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑に仕えた日海(一世本因坊算砂)を開祖とする家系、算砂住職を勤めた寂光寺(じゃっこうじ)塔頭の一つに由来する。

以降 高名な「道策・丈和・秀和・秀策・秀栄」など多くの名棋士を排出した。昭和13年二十一世本因坊秀が引退、その名跡を日本棋院に譲渡、家元制から実力制に移行することになった。
昭和16年第一期本因坊が開催され現代まで続いている。

 

本因坊算砂(ほういんぼうさんさ)

1558年~1623年

安土桃山~江戸初期の囲碁名人で1世本因坊。京都寂光寺の開祖日淵の甥、加納与三郎。出家して日海と称し寂光の塔頭本因坊に住んだ。碁・将棋の名手として盛名をはせた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3代に仕えて禄をうけ、1603年(慶長8年)みずから住んだ本因坊の名をとって本因坊算砂と改名した。

第一世本因坊算砂旧跡
本因坊算砂

本因坊戦

昭和14年に毎日新聞主催で創設した。最後の世襲本因坊二十一世本因坊秀哉名人は、本因坊の名は、棋界の実力者が名乗るべきであると言う思いから、日本棋院に本因坊の名跡を譲り渡し、選手権による本因坊が行われることになった。囲碁におけるタイトル制度は、これが始まりであり、以後始まるおおくの棋戦のモデルとなった。

本因坊戦の実施方式は、リーグ戦の一位者は、タイトル保持者と七番勝負を行い、優勝者を決める。七番勝負で持ち時間8時間、封じ手制による2日制で戦われる。
本因坊戦

本因坊の雅号

本因坊位獲得者は、本因坊名跡を継承する主旨で本因坊・・・と名乗る慣例がある。

当初は日本棋院から号を贈られていたが、本因坊薫和(岩本薫)以降、個人的に雅号を決める慣例ができた。

雅号は多くの場合本名から一字を取り、もう一字と組み合わせる。もう一字としては、本因坊秀芳(石田芳夫)のように本因坊家ゆかりの「秀」の字を用いるのが主流とされる。ただ中国・韓国出身(林海峰)(趙治勲)は、実名を号としている。
号を名乗った棋士を参考にしてください(クリックで画像を拡大) 

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